知らなかった。
何故玲が、あの庵に近付いてはいけないと言っていたのか。
何故が、外へ出してもらえなかったのか。
大人たちが、何を考えているのか。





毒娘





「・・・ちょっと、入れて!」

中もろくに確認せず、履物も持ち込んで翼は庵に転がり込んだ。
駆け寄ったの口に指を当て、静かにするように促す。
二人の息遣いが小さな庵に響く。
ジジ・・・と蝋燭の芯が燃える音がする。
息を潜めて辺りをうかがう様子が可愛くて、は思わず笑いをこぼした。それをキッと睨み付けられて、慌てて手を口元に当てて口を閉じる。

やけに長く感じる時間が経ち、翼が大きく息を吐いた。つられても息を吐く。
彼がすぐに動けるようにと立て膝で座っていたのを、ぺたんとお尻を付けて座り直した。
赤みが入ったやわらかい髪が、それに合わせてふわりとゆれる。

「あー、良かった・・・」
「・・・どうしたの?」

いかにも疲れてますといった物言いの翼に、が問い掛ける。
外の闇はより暗さを増して、室内はいつのまにか橙の炎が揺らいでいる。
翼が畳の上を動くたび、その光は闇を喰って蠢く。

翼はの問い掛けに少しむっとしたあと、畳に手を突いて足を投げ出した。
仄かに甘ったるい香りが立ちこめ、鼻腔をくすぐる。

「となりの国から人が来たんだよ」
「おとなり?」
「桜上水」

隣の桜上水は、この国の友好国の筆頭だ。
そこから翼と同じ頃合いの姫君が来るのだと言う。
それなら戻らなくてはいけないのではとが尋ねると、翼はつまらなさそうに答えた。

「いいんだよ、別に。玲がかってにやってればいいんだから」
「でも・・・翼は御当主様なんでしょ、だったら・・・」
「うるさいなぁ」

露骨に嫌そうな顔をされて、が「ごめんなさい・・・」としょげかえる。
翼が横目でそれを見た。

玲と桜上水の間で何が考えられているのか、薄々感付いている。まだ子供とは言え、そのくらいには翼は賢かった。
隣の国からわざわざ姫君が、しかも年のそう変わらない子が来る。名目上は何であれ、両国は二人の結婚を望んでいるのだ。
これで会わせてみて、不都合がなければ正式決定するつもりなのだろう。
でも、それで決められたくはない。

悪いと思いながらも翼はから顔を背けて障子の方を向いた。白い障子には揺らぐ光と二人の大きな影が映っている。
呼吸する光に合わせて、甘い匂いがふわりとのぼる。
の肩が震えているように見えるのは、揺れる光のせいか、自身のことなのか。

蝋燭の芯の燃える音が、耳にやたら大きくつく。
闇が当たり前のこの時間、蝋燭はこの狭い部屋を照らすにはあまりに明るい。

「・・・

そっと振り返って名前を呼ぶと、泣きそうな表情でが顔を上げた。今にも涙がこぼれそうなのを必死にこらえているような表情だ。
八つ当りしてしまったことに気付いて、翼も目を伏せる。

「ごめん・・・」
「え? あ、ちが、違うのっ!」

慌ててが首を振る。
当主に頭を下げさせるなんてと、頭の中で責める声が聞こえる。

「つ、翼のせいじゃなくて、あ、私がかってに、」
「・・・ふっ、あははは!」
「翼・・・?」

笑い声に驚いて見ると、翼がうつむいて肩を震わせている。けれども隠す気がなくなったのかこらえる気がなくなったのか、翼は顔を上げた。
ポンと頭を叩かれたのをが見上げると、目尻にうっすらと涙が見える。

、最高」
「えぇ?」

目を左手で拭うと、翼は蝋燭の方まで歩いていった。
ゆらり。
一歩進むたび、いっそう大きく光が波打つ。

「ここ、ろうそくあるんだね」
「うん・・・あ、でももう消さなくてはいけないの」

が飾り棚の蝋燭に近寄る。
真っ赤に塗られた蝋燭は同じような間隔で紐が結んであった。
溶けた赤い蝋が血のように蝋燭をつたう。

「今まで見たことなかったけど・・・」
「夕餉といっしょに持ってきてくださるの。石もそのときに。次の朝にまたかえすわ」
「へぇ・・・」

進み出たは、立ち上がって蝋燭の炎をふっと吹き消した。
  一瞬の内に光は失せて辺りは真っ暗になり、白い煙が細く昇っていくのだけが目に映る。

甘い香りが、強く漂う。
がいつもまとっている香りと、もう慣れてきてしまって感じなくなっていたこの部屋の香りと。
その二つとまったく同じで、それなのに蝋燭からは目眩がするほど強く香る。
どうしようもなく気分が悪い。

「翼、くらいけどいい?」

の声は至って普通に、何事もなく部屋にこだました。
部屋の闇がかすかに動いたような気がするが、翼からの返事はない。
代わりに、パンッと畳を叩いたような鈍くて重い、乾いた音がした。

「翼・・・?」

声は何もない暗い目の前に吸い込まれる。
不安に思っても蝋燭はもう付けられず、暗さに目が慣れるには時間が掛かる。

「ねぇ、つばさ・・・」

満月だったら明るいのに。

雲はないものの、生憎月は満月を越え、その明るさが差し込むのにはまだ早い。
かといって星明かりでは、この庵で頼りなすぎる。

見えるようになるまでの時間がひどく長く感じられ、同時には恐くなった。
今まで一度だってそう思ったことはなかったのに。
早く明るくなって。



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2007/01/01