ごめんなさい。
言い付けを守らなくてごめんなさい。
ごめんなさい。
どうか助けてください。





毒娘





ようやくその暗さに目が慣れてきて、はわずかな視覚を頼りに翼を探した。
狭く物のない部屋で、彼の姿はすぐに見つかる。
畳に横たわる彼はただの黒い塊に見えた。
赤っぽいふわふわとした髪も、藍色の着物も、すべてこの部屋の中では黒く色を変えている。


「翼?」


膝をついたまま翼のもとに移動して、耳元で呼び掛けるが、返事らしきものは返ってこない。
静かな呼吸音が聞こえて、眠っているのだとわかった。
はほっと小さな胸を撫で下ろす。

「・・・翼、寝ちゃったの・・・ね・・・?」

試しに肩の辺りを揺すってみたが、彼はそのまま動かなかった。仕方なくは隣の部屋から上掛けを引っ張ってきて、翼の体にふわりとかける。
上掛けの起こした風で彼の髪がさらりとなびき、額にかかって落ちる。
もう一度翼を見ると、は音を立てないように静かに隣の部屋へ引っ込んだ。

隣の部屋も表の部屋と同様、明かりもなければ大きな窓もない。
は敷きっぱなしの褥の上で丸くなって横になった。褥からも甘い香りが薫っているのだが、もう慣れてしまって感じない。
懐から取り出した匂袋からは、褥と同じ匂いがのぼる。それを抱き締めては眠りについた。




――ガシャン

「何・・・・・?」


しかし、束の間の微睡みは金属の重い音で醒まされた。
満月でもそうならないのに、ましてや今日は寝待ちの月。それにしては外はあまりにも明るすぎる。
しかも障子に映るその明かりには色がついていた。
毎日灯す赤い蝋燭の炎と同じ色。橙色に揺れる光。

「何・・・? 誰か、いるの・・・? ねえ、翼」

が翼のもとに膝をついて、大きな木戸を見上げながらつぶやく。
木戸は大きく揺れながら黒く鎮座していた。金属の硬くて重い音が耳に響く。
人の声がざわざわと伝わる。一人や二人の声ではなかった。

「・・・翼・・・・・つばさ! ねぇ、翼・・・!?」

焦って彼を起こそうと何度も叫び体を揺するが、彼は目を開ける気配すら見せない。

「な・・・んで?」

涙目になりながらぽつりとつぶやいた時、黒くそびえた木の引き戸は耳障りな音を立てて開いた。



松明の明るさに目が眩むような気がする。暗さに慣れた目では眩しすぎて、は反射的に目を閉じそうになった。

重苦しい黒い錠を右手から下げ、左手に箱型の提灯を持った女が一人いた。
彼女こそ、この庵に来る数少ない人間の一人。
西園寺玲、その人。
彼女は数人の男を連れ、松明の明かりを背に庵の入り口に立っている。
整った顔はの方を向いて、目は冷たく見下ろされている。

身の竦むような思いがした。


「あ、玲・・・様」
「さっさと翼から離れなさい」

凍り付くような声で言われて、言い返すこともなくは翼の体から一歩後ずさる。それでも、玲から目を逸らすことが出来ない。
じっと見下ろす目が恐い。

が三歩ほど遠ざかると、後ろに控えていた男たちが履物も脱がずに上がり込み、翼を抱きかかえた。
上掛けが彼の体から滑り、はらりと畳に落ちて重なる。男たちはそれに見向きもせず、踏み付けて戸をくぐった。
途中その内の一人と目が合ったが、気味悪そうな表情をされた後にふいと逸らされてしまった。


――嫌われているのだと。
その時はそれを敏感に感じとった。


「この子は部屋へ・・・! 香を薫いて、薬を飲ませなさい。急いで」


音もなく男たちは頷くと、一人を残して松明を片手に庭へ消えていった。



明かりがぐっと減って、玲の持ってきた箱型提灯のみとなる。それだけでも外からの月明かりを凌ぐほどには明るい。
玲が一歩に近付いた。それに伴って提灯の明かりも近付く。

「正直に言いなさい。翼をここに上げたのね?」
「はい・・・」
「人を入れてはいけないと言ったはずなのに、どうしてかしら?」
「・・・ごめんなさい・・・・・・」

正座しようとしても足が動かない。
三つ指ついて、頭を下げて。ずっと玲が来るたびにやっていたはずのことが。
声だけをやっとの思いで振り絞って答える。

「翼は誰なのか知ってるかしら?」
「は、はい・・・、玲様のご親族で、飛葉のご当主の椎名翼様、です・・・」
「そうね」

教えていた通りに間違えず答えたを見ていた玲の目が細くなる。

「あなたはその当主を殺そうとしたのよ。そんな年で今から・・・」
「そ、そんな・・・私、は」
「黙りなさい。誰のお陰で生きていけると思っているの?」

正面から見据えられて声が途切れる。口答えなど素振りさえも許されない。
玲は後ろを振り向いて男に告げた。

「この子に庵を与えたのは間違いだったようね・・・対の岩室に入れなさい」
「たいの・・・いわむろ・・・」
「これ以上翼を誑かさないように」
「私・・・」

何か言おうとするときには、もうは帯を男に引っ張られて立たされようとしていた。けれども体はガタガタと震えていて、足に力が入らない。
よろけて男の方に体が傾くと、彼は露骨に避けての体は畳に倒れこんだ。

「早くなさい」

上から冷たい声が降ってくる。

ああ、この人に逆らってはいけない。
この人から逃げてはいけない。

私は、どうなるの。


ごめんなさい、翼。



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2007/01/05