岩室の場所は、庵同様に知る者など殆どいなかった。 のことを知るわずかな者たちは、その場所を避けようとした。 成長した彼女の類い稀な美しさが、さらにそれを増長させた。 毒娘 提灯を手に、玲はその岩室を訪ねた。 共についてきた男に目で合図をするとそこに立たせる。 一人前に進み、閂のささった岩戸を開けると、ひんやりとした空気が頬をなぜる。 日はすっかり沈んでいるが内部は灯りがついていなくて真っ暗だ。 岩戸を閉めると、そこにくりぬかれた小さな窓と隙間から差し込む星明かりが唯一の灯りとなる。その中で、玲の持つ提灯が異様なほどの明るさを放っていた。 「・・・玲様、お待ち申し上げておりました」 部屋の中央程で、一人の少女が手を床に付けて座っていた。 火の気がなく、彼女がこうして待っていたところを見ると、玲訪問の連絡はちゃんとついていたようだ。 少女が流れるような動作で跪くと、彼女の鴉の濡羽色の髪が背中に掛かっているのが目に入る。 「顔をお上げなさい」 少女が静かに顔を上げた。 流れ落ちる見事な黒髪は、薄暗い岩室の中で闇に沈み、角度によって艶めいている。 それとは対照的に、肌は雪のように白く、紅もないのに唇は赤みを帯びて、少女にえも言われぬ雰囲気を添えていた。 仄甘く鼻腔をくすぐる香りが、更に彼女を艶めかしく演出する。 ――出来は上々。 満足そうに玲は微笑んでみせた。 あとは、彼女の本質的な出来栄えを知りたい。 「あなたにも、そろそろ役に立ってもらうわ」 玲の言葉に、少女の目の色が変わる。 「どうかしら?」 「・・・仰せのままに致します」 「それでいいわ」 玲に逆らえる者はこの飛葉には存在しないし、その少女も例外ではない。むしろ彼女は玲の恩恵でここに生活しているのだし、少女を唯一突き放さないのも彼女だけだった。 何か言うはずがない。 「来なさい」 玲が外の男を呼んだ。 男は黙って岩室に入ると、少女を一瞥もせずに室内のわずかな調度をつづらに放り込んでいく。 小さな文机と、行灯と、書物の類と、書き物の一揃いと。 残されたのは黒い燭台だけだった。 そこにはいつもの赤い蝋燭ではなく、短い白い蝋燭が置かれ、火が点けられる。 「玲・・・様・・・?」 「ありがとう。もう行って良いわ。そうね、外で待機していなさい。では・・・」 玲は懐から真っ白な麻布を、手にした提灯の影から切り縄を取り出した。 不思議そうな顔をする少女に玲はにっこりと微笑み、彼女の目をその白布で覆う。 「あ、玲様・・・これは何を・・・」 「静かになさい」 「はい・・・」 少女の視界を塞ぐと、次に玲は彼女の着物に手を掛ける。 帯をとき、水色の小袖を脱がせ、白い襦袢一枚を纏っただけの姿となった彼女を更に後ろ手に縛る。 「いいこと? 今夜誰が来ても、その人の言う通りになさい。縄は来た人がきっと解いてくれるわ。私は明朝にまた来るから。話し掛けられたら適当に答えなさい。あなたなら出来るでしょう」 「あ・・・」 「何?」 「いえ・・・」 口を開きかけて、それをためらった。 黙る少女を見て、玲は笑みを深くする。 ――おそらくは、この子で上手くいく。 今晩はまだ実験だけれども、それもおそらく成功する。 その上口答えもなく従順で、扱いやすい。 ――上手く、いく。 「では、やってくれるわね」 「は、はい・・・」 少女が声の方を向いてゆっくりとうなずく。 玲は水色の小袖と箱型提灯を持ち上げると、岩戸に手を掛けた。 「・・・いい結果を期待しているわ」 小さくつぶやいた声は反響すらせずに、薄く開いた岩戸から外へ逃げる。 一歩外に出ると枯草を踏む音がした。 「これは焼いてしまわなくてはね」 手にした小袖と帯を丸めて、男の傍に置いてあるつづらに入れる。 重そうなそれを、彼は何の苦もなく持ち上げ、母屋に向かって歩きだす。 玲はその後をのんびりとした足取りでついていった。 青白い月が綺麗な夜だった。 2007/01/05 |