わからない。
玲様が私に何を望んでいるのか。
わからないのです。





毒娘





うっすらと目を開けると、最初に見えたのは灰色の岩だった。
明るい日の光が差し込んでいて、室内はぼんやりと明るい。
その不明瞭な明るさと同じように、頭に靄がかかっている気がする。

「・・・っ!」

ゆっくりと体を起こそうとして、少女は思わず顔をしかめた。
体が鉛のように重く、腰に鈍い痛みが走る。
起き上がるのを一度諦めて、彼女は力を抜いた。

おとなしくなってみれば頭も痛いし、どうしようもなく気分も悪い。
あまりの怠さに、再び意識が沈みそうになる。

「なん・・・で・・・・?」

体調がすこぶる悪い。
寝ている場所はいつもの褥の上ではなく、いつも目に入る淡い桜色の行灯も見当たらない。

昨日は、夜に玲様がいらして。
ああ、それで男の方が調度を・・・。


――それから?


痛む頭でぼんやりと考える。

それで確か白い布で目隠しをされた。
小袖を脱がされた気もする。
縛られて・・・

「あ・・・」

はっと頭が覚醒した。
昨晩は、玲様がいらして。
知らない人間が何故かやってきて。
それで・・・。

昨夜あったことを思い出して体が震える。
抵抗することは最初から許されていなかったけれど、男の目が怖くて大声もあげられなかった。
気付けば、今もまだ一糸纏わぬ状態で、小袖はもちろん、襦袢さえも見える範囲にはない。

もう一度起き上がろうとして、身体の重さの原因を少女は見た。
彼女の身体の上に、力のない男の肢体がうつぶせの状態で横たわっている。

「あ・・・ぁ・・・」

押し退けようと触れた彼の身体が冷たい。
岩室の中は静かなのに、自分以外の呼吸の音がしない。
これだけ身体は近いのに、鼓動さえも何一つ感じられなかった。

――わかる。

これは、眠っているのとは違う。
翼と寄り添って過ごしたとき彼はちゃんと温かかったし、心臓の鼓動の音が心地よかった。
なのに、この人は。


――死んでいるの?

気持ち悪さを我慢して力一杯除けようとしたが、力の抜けた男の身体はその程度で動かせるほど軽くはなかった。
押した指の感触が、目の前のものはもう生きた人間ではないことを強調する。
冷たくて、固くて、今まで触った何物にも似つかない。


「な、ん・・・で・・・・・」

どうして動かないの?
どうして冷たいの?

何故、死んでしまったの?



「気分はどうかしら?」

ガシャンと響く音と共に、岩戸から明るい光が射して女の影が映った。
逆光で黒い形しか見えないが、その声色と口調で誰なのかはすぐに知れる。

「あ、玲・・・・・・さ・・・ま」
「あら・・・もう起きているのね」

玲は笑みを浮かべながら見下ろす。
固い床の上には、怯えた瞳をした少女。それに折り重なるようにして、全裸の男が横たわっている。
顔を引きつらせガタガタと震える少女とは対照的に、男の方はぴくりとも動かなかった。

「あきら・・・さまっ、わ、私・・・ちがっ、わたし、は・・・」
「ええ・・・」

玲は外に待機している人間を呼び、男の身体を動かさせる。
隠されていた少女の裸体は朝の光にさらされ、紙よりも白く目に映る。
玲がかがみこんで男の首筋に手をあてた。
体温を失くした肌は冷たく、脈は微塵も感じられない。

「とりあえずこれを着なさい。あの小袖は処分したわ」

玲は白い襦袢と若草色の着物を投げてよこした。帯は丹色の濃淡で、糊がしっかりと効いている。

のろのろと起き上がるが、上にあったものがなくなっても体は重いままだった。
動かない体と無くならない鈍い痛みに耐えながら、少女は投げられた着物を着た。手首がうまく曲げられなくて帯が緩くなってしまうのは仕方ない。
痛いのは当然で、白い手首には男に捕まれた時の五本の指の跡が青いあざとなって残っていた。

「もうそろそろちゃんと使えそうね・・・翼、来なさい」

もう一人、小柄な少年が岩室に入ってきた。
髪は赤みがかった特徴的な色。肌は白く、少しきつめの目が意志の強さを感じさせる。顔の造形は美少女と間違えられてもおかしくないほどに整っていた。
一目で察せるものがある。
成長した姿は確かに変わってしまっているけれど、変わらない面影が残っている。

「・・・・つばさ?」


「自分の立場、わきまえてくれる?」


想像していなかった返答に、言葉がつまった。
冷たく見下ろす目は嫌悪感と不信感をむき出しにしている。

――もう彼は憶えていないのだと。
その一瞬で、そう思った。


「玲、本当にあの火付け犯殺したわけ?」
「そうよ、ちゃんと死んでたでしょう? 後何回か試してみたら戦に使えるわ」

玲が笑みを深くする。翼は手にした赤い蝋燭を彼女に渡すと、それを冷ややかな目で見ていた。

「呼んだのはこれで終わり? なら帰るけど」
「ええ、ごめんなさいね。母屋に行くなら、この岩室のものを急いで戻すように誰かに言って頂戴」

翼の視線などものともせず、笑みを崩さないままで玲は告げた。
くるりと背を向けて、翼は岩室を出る。
「蝋燭が丸一日無かったから疲れたでしょう?」と、背後で玲が少女に話し掛けているのが聞こえた。



枯草を踏んで空を見上げる。日がすっかり昇って、辺りは明るい。
岩室が薄暗かったせいで、目が眩むような気さえした。

「・・・・・・・・」

小さく呟かれた翼の声が、誰もいない裏庭で霧散する。
憶えられていたことは嬉しかったのに。
また逢えたことも嬉しかったのに。


――彼女が、毒娘。




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2007/01/07